令和になった夜の話

  • 2020年5月1日
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やっほ。

 

今日から5月ですね。

みんな如何お過ごしですか?

 

さて、今日から5月ということは、今日で元号が「令和」になって1周年ということですね。

僕の感覚からすると、今日で1周年なのだから、今日から令和2年… という感じもしたりしますが、実際は今日で令和2年になってから5ヶ月目に入ったというのが暦の指し示す地点です。

 

ところで、みんなは令和になった瞬間、何をしていましたか?

“ジャンプをしていた” という知人が結構いて、妙な納得感を抱いてしまったのですが、僕はジャンプはしていませんでした。ホップも、ステップもしてないです。

では何をしていたのかというと、、、

 

森を拝んでおりました。。。

 

…どうも、まいど意味不明ですみませんけれどもね、まぁつまり、ちょうど森の中の山小屋にいたんですね。

令和2年5月の今でこそ、どうやら森にいらっしゃる方が多いようですが、僕はその1年前に、森で暮らしていたんですよ。時代先取りでしょ? え?Nintendo Switch? 持ってないですよ、ええ。

 

…話を戻しましょう。ということで今回は、令和を迎える夜のこと、令和の0話のエピソードを綴ります。

 

 

 

それで、僕はリアルな森にいたんですね。

 

ゴールデンウィークは親戚と長野の山へ行くことが多く、昨年も例によって長野の山奥で過ごしておりました。

そうして、令和を迎える日の夜。親戚計6人で一緒に山小屋にいたので、僕は何となく、令和になる瞬間、みんなで乾杯なんぞをして半ばパーティのようになるかなー …と思っていたのですが、なんか日付超える前にみんなすぐ寝ちゃったんですよ。笑

まぁ元号が変わるからといって別にどうということではない といえばそれまでか …と思いながらも、しかし一方で、古来、飛鳥時代の「大化」より幾千の時を渡り脈々と継がれてきたとされる “元号” が新たな名を纏うという出来事は、何となくロマンであり、そして僕にとっては初めての改元の経験ということも相まって、なんかワクワクしてたんですよね。

なので、やっぱりみんなもそれなりに盛り上がるかと思いきや、実際はみんな早々に眠りについてしまったということです。しょうがないので、僕も寝室に行きましてね。それで僕はひとり部屋だったので、山小屋の片隅でひとりで新たな時代を迎えるという流れになった訳です。

 

なかなか渋いことになりましたよ。

 

まぁでもこれもまた味かなと思いましてね。22時過ぎくらいですかね。ひとり、部屋の小さな窓を開けてみたんです。そしたら、夜の森で風が鳴っていましてね。たまに部屋の中にも入ってくるその風が、どうにも変化の象徴のようなものに思えて、まぁただの風といえば ただの風なのかも知れないですが、でも僕はその風に、時代が変わるんだということの確かな輪郭を見た気がしました。

 

あぁ、この森の風が、僕と一緒に新たな時代を迎えてくれるんだなと。笑

 

そしたら、次の瞬間スマホの通知が来まして、何かなーと思ったら、インスタグラムでちょいちょいメッセージが来てたんですね。

ちょうどその数時間前に、日が沈んだ森の写真をストーリーズをあげていたので、そのリアクションだったのですが、何やらこれがまた妙に嬉しくてですね。もちろんいつでもコメントをもらったら嬉しい訳ですが、この時はまたいつもと違った何かがあった気がします。

 

あぁ、みんな繋がってるんだな …というか、この風の向こうにみんないるんだな …みたいな。

 

親戚はみんな寝ちゃいましたからね、メッセージをくれる人たちの存在は嬉しかったですよ。笑

 

それで、コメントを読んでみましたら、写真に対するコメントも然ることながら、写真に添えていた言葉への感想が多くてですね。ちょっとビックリしました。

そのときのストーリーズは、ハイライトに残してあるので、気になる方は「蓼科 2019 春」の 4ページ目 をどうぞ…

 

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それで、僕、前からなんとなく思ってたんですよ。

 

風というのは、変化の象徴であり、つながりの象徴であり、そして世界の呼吸だなと。

 

だから、僕は風というものが好きなんですね。そしてその夜、改めて風って良いなぁーと思った訳です。

 

そしたらなんか、もう変なテンションになってる訳ですよ。

建築が好きで、神社や仏閣に魅せられ旅を重ねるうちに、奈良や飛鳥、延いては記紀に興味を持ってきていた僕にとって、やっぱり元号が変わるというのは、なんか深く面白い訳で、それで人生で初めてその瞬間を迎えようというその時に、せっかく親戚が集まっていたのにみんな寝ちゃって、でもまぁそれはそれで良くて、ひとり山小屋の片隅で、森を行く風の声を聴いているというのは、なんか、侘び寂びというか、のほほんというか。。

 

それで、この豊かに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聴こえてくるのではないかと思ったりしましてね。(注 : 訳分からない人は平日の24時に TOKYO FM か JFNのどこかの局 をどうぞ)

 

だから、風に心を開いてみたんですよ。どうやったかは覚えてないけど。

 

そしたらさ、やっぱり夜の静寂は饒舌だったよね。インスタでメッセージが続いてきて、それぞれ返信したりして、気づいたら「良い時代をお迎えください」とか「令和がより良い時代になると良いですね」なんてアレコレなやりとりになっていた訳です。

 

なんか心が温かくなりましたよ。

 

そうして、そんなメッセージ交換も落ち着いた頃、もう一度 森の夜空に視線を上げると、窓の向こうから また大きく風が入ってきました。そっと深呼吸をします。気づけばスマホの時計は 0:00 へと移ろいでいました。

 

 

 

 

あれから1年。風が吹き荒れているような日々の中で、僕たちは、かつてないほどに、変化を感じ、つながりの大切さを感じ、そして呼吸ができる有難さを感じているようにも思えるところ。

 

 

先は全く見えないけれど、でも僕たちは、あの夜、“新たな時代がみんなにとって良い時代になってほしい” という願いを、この令和が始まるときの風に確かに込めた筈なんだよね。

 

 

そしてその風が今も吹いていて、それは令和という時代の中を、まだ歩き始めたばかりなんだ。