のほほん思考

  • 2020年4月20日
  • Blog

やっほ。

 

言葉というのは、それが抽象的な輪郭を成せば成すほどに、人それぞれの辞書に載っている意味や用法が違いを示す節がある訳で。

今日は、僕の大好きな言葉「のほほん」を、僕の辞書で引いてみたいと思います。

 

のほほん

1. (副) 穏やかなさま。伸びやかなさま。奥ゆかしくも堂々としているさま。

2. (名) 風の声を聴くこと。また、そのような人。存在。

– みや堂 さわ苑 第7版 より

 

 

まー、改めて自分の思考を表にしてみると、僕は何を考えているんでしょうかね。。。

もしかしたら、他の辞書とは少し違う意味を持たせてしまっているのかもしれません。

でも、僕は、こんなような概念が好きで、この感じを何か言葉に表すなら何かなー、と思った時に「のほほん」という言葉がしっくり来ました。そしてその後、詩人の西尾勝彦さんの『のほほんと暮らす』という本に出会えたことも、この僕なりの「のほほん」に拍車をかけたように思います。

 

それで何が言いたいかというと、、、

 

“穏やかであることは、恐れを捨てること”

“伸びやかであることは、望みを持つこと”

“奥ゆかしくも堂々とあることは、思考を絶やさぬこと”

 

…そんな感じに思うということです。

それで、、、

 

“風の声を聴くことは、自分を持ちながらも全てを受け入れること”

 

…なんじゃないかということです。

全部自分で言っておきながら、何が「なんじゃないか」だよ… という感じですが、まぁ洒落込んで俯瞰してみたんですね。。

 

それで、つまり僕の言うところの「のほほん」って、結構難しいのかもしれません。いやでも、簡単かもしれません。どっちやねんって? それが、のほほんです。

…なんて、随分とずるい表現をしてしまいましたが、まだまだ僕も常にのほほんを保てる訳ではありません。ナンダカンダあるご時世ですしね…。しかし、だからこそ、そうありたいと今日も生きている、そんな感じです。

 

そしてまた、その未完成を受け入れることも、のほほんです。

 

だから、例えば悲しいときは、その悲しさをありのまま受け入れたら良いし、自然というのが大切で、あんまり考え過ぎても「のほほん」ではないと思いますが、それでも、、、

 

、、、それでも僕が今一番言いたいのは、「のほほん」には “思考” があるということです。

どういうことやねん!という感じですが、何も考えず「だらり」としている訳ではなく、思考があり、この瞬間を感じているということです。

だから、物事を無闇にネガティブに捉える必要は全くないけれど、事象の感知には穏やかに積極的であるということ。そしてそこに “思考” を宿してこそ、真の「のほほん」へと辿り着くことができる気がします。

 

いやもっとも、何も考えない境地も「のほほん」かも知れないし、二元論では語れないという余白も十二分にありそうです。

そして、あえて思考から離れる「瞑想」の有用性が科学的に証明されてきていて、これも素晴らしいと思うのですが、それはそれとして。。

 

…ということで、これ以上何かを綴ると話が迷走してしまいそうですので、この辺で。

 

何はともあれ、このような時(2020年4月20日現在)だからこそ、風の声を聴くような “思考” がとても大切なんじゃないか、ということです。そしてそれは「のほほん」の糧となり、「のほほん」たる行動となり、きっとそこに “望み” がある、と、そう思う訳です。

 

ま、人それぞれで良いのですが、僕はこれからも自分の「のほほん」に水をあげながら生きていきたいと思います。

 

随分、哲学的になってしまいましたが、前回の「キウイの切り方」の投稿と合わせてバランスが取れたということで。。。

 

それではまた。

Have a great のほほん.